2015
07.24

両手に受けられるもの

『病気になったことが悔しい。』
『こんなはずではなかった。』
『この先どうなるのか不安。』

そんな思いにとらわれて、めそめそと泣いてしまう時があります。

泣いてすっきりすることもあるけど、上のような思いの涙はなんにも洗い流してくれません。ただただ苦しい涙。

『あるべき自分の姿』という幻をまだ消せずにいる私は、相当な頑固ちゃんだなぁと呆れます。

釧路の夜間中学『くるかい』のブログをよく拝見しますが、その中である方のお話が心に残りました。無断引用したらダメなのかな…。

『なんで人が悩むかって言ったらね
人はそれぞれ両手に受けられるものの大きさが決まっているのに、自分には手が届かないことをしたいって欲を出すからなんだよって、昔、教えられたの。

なんで別の人にはできて、自分にはできないんだろうって思うかもしれないけれど、両手に入るものは(お金でも他のものでも)生まれた時から決められているのよ。だから人と比べる必要はないって教えられたの。

悩むってことは、すでに答えが用意されているってこと。その答えを認めたくないから、悩むのね。
本当は答えは分かっているのに、自分の両手にのせられる分を認められないの。』

まったく今の私のことだなぁと思います。答えを認める。今の自分を認める。それがなかなかできなくて泣いたり悔しがったりしてる。

『自分の両手には有り余るほどの幸せを受けている。』…そのことをちゃんと感じたら、こぼれてしまういろいろを気にしなくなるかな。

旦那さんがいて、娘がいて、…『いて』というのは文字通り『存在』していること…それだけでもう私の両手はいっぱいなんだと思う。あとは全部、『欲』。

まためそめそしそうになったら、思い出そう。



スポンサーサイト

トラックバックURL
http://nyoro38.blog.fc2.com/tb.php/923-3fe80638
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top